ABOUT TORIDAI
大学绍介
UNIVERSITY INTRODUCTION
鸟取大学のあゆみ
鸟取大学の开学
- 1949年(昭和24)国立学校设置法が制定され、鸟取大学は、米子医科大学、米子医学専门学校、鸟取农林専门学校、鸟取师范学校、鸟取青年师范学校を包括して设置された。学部として、学芸学部、医学部及び农学部が设置されるとともに、附属図书馆が附置され、学芸学部には附属小学校、中学校が、医学部には附属病院、看护妇养成所、农学部に附属农场、附属演习林の各施设が设けられた。
- また、学芸学部には、第一种(4年制)の中学校教员养成课程、小学校教员养成课程、第二种(2年制)の中学校教员养成课程、小学校教员养成课程、及び小学校教员临时养成科が置かれ、医学部には医学科が、农学部には农学科、农芸化学科、獣医畜产学科、林学科がそれぞれ置かれ、初代学长には、前东京大学教授佐々木 乔氏が就任した。

1950年代
- 1949年(昭和24)7月、鸟取市立川町の旧47部队兵舎において、新制鸟取大学の第1回入学式が挙行された。
- 翌年の8月25日には、学芸学部を鸟取市东町の鸟取师范学校校舎から鸟取市立川町の旧鸟取连队跡に移転、旧兵舎を校舎として改造使用することになった。
- そして1952年(昭和27)8月、大学本部も鸟取市东町から旧鸟取连队跡に移転したが、农学部は鸟取市吉方の旧鸟取农林専门学校の建物を、医学部及び附属病院は、米子市西町にある旧米子医学専门学校の建物をそのまま使用した。
- 1958年(昭和33)には、大学院医学研究科(博士课程)が设置され、17名が入学した。

1960年代
- 1960年代は、高度経済成长を背景として、学部学科の新设?増设が相次いだ。
- 1965年(昭和40)には、県民宿望の工学部が设置された。
- また、大学の内外から待望されていた鸟取大学の整备统合计画は、1966年(昭和41)の鸟取地区(现在のキャンパス)への统合移転によってようやく実现した。
- この工学部の新设とキャンパスの移転を机に、教养部の设置构想が具体化して、1967年(昭和42)に正式に设置されることになった。また、同年に教育学部に附属幼稚园が设置された。
- 1960年代末には、全国的に大学纷争が燃え広がった时期であったが、鸟取大学でも本部封锁等を中心に学园纷争が続いた。

1970年代
- 1970年代は、1960年代の学部学科等の新设、増设にひきつづく本学の発展期であった。
- 1972年(昭和47)には、工学部に生产机械工学科が増设され、1974年(昭和49)には、大学院工学研究科(修士课程)が设置された。又、1970年代末には、学部学生と大学院学生を合わせた本学学生の入学定员がついに1,000名を超えるほどに発展した。
- 1975年(昭和50)には、医疗技术短期大学部が併设された。
- 1978年(昭和53)には、教育学部に附属养护学校が设置された。
- 1979年(昭和54)に创立30周年の记念式典を挙行して本学の発展を祝った。

1980年代
- 1980年代も工学部の学科や大学院工学研究科(修士课程)の専攻増设を中心とした本学の発展期であった。また、1989年(平成元)には、农学部関係者宿愿の连合农学研究科博士课程(岛根大学、山口大学、鸟取大学)が设置され、农学に関する教育研究の新しい歴史が始まった。
- さらに、1985年(昭和60)には、教育学部附属小学校?中学校が鸟取市湖山町に移転した。

1990年代
- 1990年代は、1990年(平成2)の医学部生命科学科の増設、全国共同利用施設?乾燥地研究センターの設置、1993年(平成5)の地域共同研究センターの設置、1994年(平成6)の大学院教育学研究科修士課程、大学院工学研究科博士課程の設置、1995年(平成7)の遺伝子実験施設の設置、1999年(平成11)の総合情報処理センターの設置等が相次ぐ、本学の大きな質的発展期であったが、それと同時にその発展を背景とした急速な国際化の時期でもあった。また、本学の外国人留学生や研究者が飛躍的に増加し、数多くの海外の大学との学術交流協定締結も進行し、1994年(平成6)には国际交流会館が建設された。
- 一方、この1990年代は、高度経済成长のかげりと少子化?高齢化社会を迎えて、新制大学発足以来の戦后最大の大学改革の时期でもあった。1991年(平成3)の大学设置基準の大改正(大纲化)を受けて、本学では、1995年(平成7)に教养部を廃止し、一般教育カリキュラムの改正を行った。そして、1999年(平成11)には、教育学部が教育地域科学部に改组され、教员养成と文系の人材养成を取り込んだ新しい构想の学部として発足した。
- また、同年10月には、医疗技术短期大学部を改组転换して、医学部の中に保健学科が设置された。
- さらに、同年11月には、创立50周年の记念式典を挙行した。

2000年代
- 2000年代は、地域との連携、共同研究に力が入れられる時期となり、2000年(平成12)に地域共同研究センターを基盤とした共同研究推進機構の設置、2003年(平成15)に医学系研究科に機能再生医科学専攻の設置、アドミッションセンター、大学教育総合センター、国际交流センターの設置、さらには既設の遺伝子実験施設、アイソト-プ総合センター、機器分析センター及び医学部附属動物実験施設を統括して生命機能研究支援センターが設置された。
- 一方、日本政府の构造改革の一环で、国立大学にも独立行政法人化の波が押し寄せ平成16年4月には、国立大学法人鸟取大学として生まれ変わった。この法人化と併せて、2004年(平成16)は、岛根大学との全国初の県境を越えた教员养成学生定员を移动しての教育地域科学部の地域学部への転换と学部附属であった附属学校を大学附属としての附属学校部の设置、ベンチャー?ビジネス?ラボラトリー、総合メディア基盘センター、生涯教育総合センター、知的财产センターが设置され、大きく大学が変化した。さらに、社会贡献、产官学连携强化のため、地域共同研究センター、生命机能研究支援センター、ベンチャー?ビジネス?ラボラトリー及び知的财产センターを统括する组织として产官学连携推进机构の设置、东京、大阪、鸟取駅南にサテライトオフィスを开设した。

2010年代
- 2010年代に入り、学部横断的な取り組みを推進した。2012年にグローバル人材育成推進室を設置し、全学的にグローバル教育の体制を整備した。さらに、2013年に地(知)の拠点整備事業が採択となり、自治体と連携し全学的に地域志向を推進した。 また、岐阜大学と共同獣医学科を設置し、モデル?コア?カリキュラムに準拠した教育を確立し、より高度な専門的教育研究体制の構築を目指した。
